シンパパ大人ストーリー

シンパパに潤いを

通勤電車にて… 第三十一話

「それぞれの帰り道」

 


喫茶店を出ると、午後の光は少し傾き始めていた。

父と息子は並んで歩きながら、どこか照れくさく、けれど心地よい沈黙を共有していた。

 


「……なんか、変な感じだな」

 


悠真がぽつりと言う。

 


「何が?」

 


「お父さんが“好きな人の話”をするなんてさ。大人も……恋をするんだね」

 


一真は苦笑しながら、「そうだな」と答えた。

二人の歩幅は自然と揃っていた。

その歩幅の揃い方が、今の二人の距離を象徴しているようだった。

 


 


悠真は彩香にメッセージを送っており、夕方、公園で会うことになっていた。

冬の名残を感じる風が、木々の枝を揺らしている。

 


ベンチに座る彩香は、昨日のバレンタインデートの余韻がまだ残っているようで、頬がほんのり赤い。

 


「……昨日、楽しかったね」

 


悠真が言うと、彩香は嬉しそうに笑った。

 


「うん。チョコ、喜んでくれてよかった」

 


「彩香からもらえてめちゃくちゃ嬉しかったよ!」

 


彩香は照れくさそうに肩をすくめた。

 


「でね、今日……お父さんと話したんだ」

 


悠真は、喫茶店での父の言葉を思い返しながら続けた。

 


「怜奈さんのこと、好きなんだって。

先のことでまだどうなるかわからないけど、結婚できたらいいなって……照れながら言ってた」

 


彩香は驚いたように目を丸くした。

 


「お父さん、そんなふうに言ったんだ……」

 


「うん。なんかさ……ぼくが彩香を好きなのと同じなんだなって思ったら、

お父さんの気持ちが少しわかった気がした」

 


彩香は頬を赤らめ、

「……悠真くん、そういうふうに素ではっきり好きって言われると恥ずかしいよ」と小さく笑った。

 


その笑顔は、昨日よりも柔らかく、

二人の距離はまたひとつ近づいた。

 


「ねえ、また電波塔行こうよ。

今度は……ゆっくり話したい」

 


「うん。行こう」

 


夕暮れの公園に、二人の声が静かに溶けていった。

 


 


その頃、怜奈は自宅で静かな時間を過ごしていた。

リビングの照明は柔らかく、湯気の立つカモミールティーの香りが部屋に広がっている。

 


昨日の電波塔での偶然の出来事、一真の驚いた顔を思い出していた。

 


(……悠真くん、私のことどう思ったかなあ)

 


一方で偶然でも悠真と会えたことは確かに嬉しかった。

あの少年の素直な目を思い出すと、一真と悠真との未来が少しだけ近づいたような気がた。

 


そして、ふと気づく。

 


(……私、あの4人でいた時間が、嫌じゃなかった)

 


むしろ、

「家族ってこういう感じなのかな」

そんな淡い想像が胸の奥で静かに芽生えていた。

 


スマホが震える。

 


「今日、悠真と色々な話をしたよ。怜奈さんにも話したい。」

 


短いメッセージ。

怜奈の胸には、静かな灯りがともった。

 


(悠真くんとどんな話をしたんだろう。私にも教えてくれるのかな。)

 


期待と不安が、静かに胸の奥で揺れていた。

 


 


悠真と別れたあと、一真は帰宅してリビングでひとり深呼吸をした。

 


息子に“怜奈さんが好きだ”と言った。

息子がそれを受け止めてくれた。

その事実が胸の奥でじんわりと広がる。

 


スマホを手に取り、迷いながらも短くメッセージを送る。

 


送信ボタンを押した瞬間、胸の奥が熱くなる。

 


(次は……ぼくの番だ。悠真に負けてられない)

 


一真は静かに目を閉じ、怜奈の横顔を思い浮かべた。

 


 


夜の街は静かで、街灯の光がアスファルトに淡く反射している。

 


悠真は、彩香を家まで送り届け一人になると、彩香の笑顔を思い出しながら帰宅する。心の奥が、昨日よりもずっと温かい。

 


彩香は、帰宅後自分の部屋のベッドに横になり、「恋って、こんなに楽しくて胸がいっぱいになるんだ」と思う。

 


怜奈は、メッセージを胸に抱き、明日の朝が少しだけ待ち遠しくなる。

 


一真は、息子の成長を噛みしめながら、そして怜奈への想いを確かめながら、夕食の準備をしていた。

 


それぞれの場所で、それぞれの想いが、静かに前へ進み始めていた。

通勤電車にて… 第三十話

「父と息子、喫茶店にて」

 


朝の光がキッチンに差し込み、

湯気の立つコーヒーの香りが静かに広がっていた。

 


「……おはよう」

 


階段を降りてきた悠真は、

まだ眠気の残る顔で椅子に座った。

 


「おはよう。パンでいいか?」

 


一真の言葉に、

悠真は少しだけ視線をそらした。

 


「……うん」

 


短い返事。

 


しばらく沈黙が流れたあと、

一真は静かに言った。

 


「今日、午後から時間あるか? 昨日のことだけど少し話をしよう」

 


悠真は少し考えてから、

「……うん。いいよ」と答えた。

 


午前中は各々の時間を過ごし、午後から二人は、家の近くの喫茶店へ向かった。

 


 


二人は昔ながらの喫茶店に入った。

木の香りが残る落ち着いた店内で、

小さなジャズが静かに流れている。

 


窓際の席に座ると、店員がコップとお手拭きを置いて去っていった。

 


一真は、ゆっくりと口を開いた。

 


「……それにしても昨日はお互い驚いたな」

 


悠真はお手拭きの袋を開けながら、

「うん。」と小さく頷いた。

拒絶の感じはない。

 


少し間を置いて、

一真はまっすぐ悠真を見つめた。

 


「悠真に、昨日の彼女のこと、怜奈さんっていうんだけと、ちゃんと話しておきたいことがあるんだ」

 


悠真は姿勢を正し、父の言葉を待った。

 


 


「怜奈さんとは……最初は、ただの“同じ電車に乗ってる人”だったんだ」

 


悠真は少し意外そうに目を向ける。

 


「毎朝、同じ時間の電車に乗っているんだけど、怜奈さんと何度か同じボックス席に座って……」

 


一真は、あの朝の光景を思い出すように続けた。

 


「最初に気になったのは……怜奈さんの“手”だったんだ」

 


悠真は驚いたように目を瞬いた。

 


「女性にしては大きめで、爪は短く整えてあって……

派手じゃないんだけど、生活がにじむような、なんていうか……誠実さを感じる手だった」

 


「その手を見たときに、

“この人はどんな生活をしてるんだろう”って、ふと気になったんだよ。

それが最初のきっかけだった」

 


悠真は黙って聞いている。

 


「数ヶ月後に防災管理者の講習で偶然隣の席になって……昼休みに思い切って声をかけた。

『電車でよくお見かけしますよね』って」

 


「名前を聞いて、仕事の話をして……

講習が終わってから、怜奈さんが傘を忘れそうになったから「お忘れですよ」って声をかけたら、

駅まで一緒に歩く流れになってね。電車でも隣に座って、お互いのことを話して……」

 


一真は少し息を整えた。

 


「それで、話をしたらまた会いたいなって思うようになった」

 


「ある日、いつもの電車で、お父さんの友達の結婚祝いのプレゼントを何にしたらいいか相談したんだ。怜奈さんはいくつか提案してくれたけど、実物を見ないとイメージが掴めないと言ったら、それじゃ週末に見に行きましょうって言ってくれて、一緒に選びに行ったんだ……

雑貨屋を回って、ガラスのお店に行って、カフェでご飯を食べて……

その日がきっかけで、

“もっと一緒に居たいなと思う人”になったんだ。」

「ただ、これからのことは具体的にはまだ話をしてない状況なんだ。お互いの生活もあるし、特に急ぐ必要もない。何よりお父さんは悠真のことを優先するつもりだよ。これから大学受験とかもあるから、しっかりサポートしようと思ってる。怜奈さんもそのことは理解してくれているよ。」

 


悠真の胸の奥が、少しだけ温かくなる。

 


一真は、少しだけ視線を落とした。

 


「それから……以前うちに来た“優香さん”のことだけど」

 


悠真は静かにうなずく。

 


「この前も話したけど、優香さんは……お母さんの双子の妹なんだ。

つまり、悠真にとっては“叔母さん”にあたる人だな」

 


悠真は頷いた。

 


「事情があって、お母さんとは別々に育ったらしい。だから、お父さんも最近まで知らなかった」

 


一真は続ける。

 


「叔母さんの紹介で、お見合いをすることになって……相手がたまたま優香さんだったんだ」

 


悠真は息をのむ。

 


「優香さんは、澄香に……お母さんにそっくりだった。双子だから当然なんだけど……

正直、動揺したよ」

 


一真は苦笑した。

 


「澄香に似ているから、優香さんを見るとどうしても澄香を意識してしまう。優香さんを澄香とはちがう一人の女性としてなかなか見れなかった。

優香さんは澄香の代わりにはなれないし、ぼくもそういう気持ちで接するべきじゃない。優香さんに対して失礼に当たるしね。だから、お付き合いすることはできませんと伝えたよ。」

 


「ただ、もちろん親戚付き合いは続けていくよ。お父さんも、優香さんも同世代の子供を持つシングルだから、これからは子供や家庭の相談をするような関係でいられたらいいなと思ってる」

 


「優香さん自身も、親戚としての関係と親としての関係を大事にしたいって言ってくれた。

だから、これからは親戚として、そして彩香ちゃんのお母さんとして、ちゃんと距離を保っていくつもりだよ」

 


悠真は、少し安心したように息を吐いた。

 


 


しばらく沈黙が流れたあと、

悠真は少し迷ったように視線を落とし、それから意を決したように顔を上げた。

 


「……お父さんさ」

 


「ん?」

 


「怜奈さんのこと……好き?

その……結婚したいって思ってるの?」

 


一真は一瞬固まり、

持っていたカップを危うく落としそうになった。

 


「す、好き……?」

 


耳まで赤くなり、

視線が泳ぐ。

 


「……もちろん、す、好きだよ」

 


言いながら、自分でも驚くほど声が震えていた。

 


「結婚か、出来ればいいなとは思っているけど、……怜奈さんはどう思っているかな。彼女の気持ちは、まだ聞けてないんだ。」

 


照れくささと、どこか少年のような不器用さが混ざった声だった。

 


悠真はその様子を見て、思わず小さく笑った。

 


そして、ふっと表情をやわらげて言った。

 


「ぼくが彩香を好きなように、

お父さんも怜奈さんのことが好きなんだよね。

そう思うと……お父さんの気持ちが少しわかるような気がするよ」

 


一真は驚いたように息を呑み、

そしてゆっくりと微笑んだ。

 


「……ありがとう、悠真」

 


その言葉には、父としての安堵と、ひとりの男としての照れと、そして息子への深い信頼が滲んでいた。

 


「今度……ちゃんと紹介してよ」

 


悠真が照れくさそうに言うと、一真は驚いたように目を見開き、そして嬉しそうに笑った。

 


「もちろん!」

 


喫茶店の窓から差し込む午後の光が、

二人の間に流れる穏やかな空気を照らしていた。

 


父と子は、お互いの信頼を深め始めていた。

通勤電車にて… 第二十九話

「それぞれの夜」

 


デートの帰り道、悠真は彩香を家の前まで送った。

門灯の下で「今日はありがとう」と笑う彩香の顔が、夜の冷たい空気の中で温かく見えた。

 


「また連絡するね」

 


「うん。気をつけて帰ってね」

 


短い会話のあと、彩香は家の中へ消えていった。

その背中を見届けてから、悠真はゆっくりと歩き出した。

 


家に着くと、玄関の灯りはついていなかった、

父はまだ帰っていないらしい。

 


悠真は風呂に入り、ベッドに横になっても、今日の出来事が頭の中でぐるぐる回り続けた。

 


観覧車の中でのキス。

手をつないで歩いた帰り道。

そして──

電波塔で見た父の姿。

 


嬉しいような、寂しいような、複雑な気持ち。

胸の奥がざわついて、なかなか眠れなかった。

 


それでも、疲れのせいかいつの間にか意識は遠のき、深い眠りに落ちていった。

 


 


彩香が家に入ると、リビングの明かりがついていた。

母・優香がソファに座り、テレビをつけたまま待っていた。

 


「おかえり。楽しかった?」

 


「うん……すごく楽しかったよ」

 


自然と笑みがこぼれる。

優香も嬉しそうに頷いた。

 


「どんなところ行ったの?」

 


「テーマパーク行って、観覧車乗って、人気のカフェレストランで食事して、…夜景も見たよ」

 


そこまで話して、彩香は少し迷ったあと──

電波塔での出来事を話した。

 


「……帰りにね、悠真くんのお父さんに会ったの。一緒に女性がいて……怜奈さんっていうんだけど」

 


優香の手が一瞬止まった。

 


「……そう。会ったのね」

 


「うん。すごく綺麗な人だったよ。

悠真くん、ちょっと驚いてたけど……」

 


優香は微笑もうとしたが、

その笑みはどこかぎこちなかった。

 


(……一真さん、恋人がいるんだ)

 


頭では理解していたはずなのに、

娘の口から聞くと、胸の奥がキュッとなった。

 


寂しさとも違う。

でも確かに心が揺れる感覚。

 


「……そっか。楽しい一日だったみたいね」

 


優香はそう言って、彩香の頭を優しく撫でた。

 


彩香はその手の温かさに安心しながら、自室へ戻っていった。

 


 


一真が帰宅すると玄関の灯りはついていた。

しかし、家の中は静まり返っている。

 


「……寝たか」

 


悠真の部屋の灯りは消えているようであった。

安心したように息を吐き、風呂に入る。

 


湯船につかりながら、

展望台での怜奈の笑顔が浮かぶ。

 


そして──

電波塔での悠真の表情も。

 


(驚かせたよな……)

 


胸の奥に小さな痛みが走る。

 


怜奈との時間は確かに幸せだった。

でも、父として向き合わなければならないことがある。

 


ベッドに入っても、なかなか眠れなかった。

 


(明日……話をしよう)

 


そう決めたところで、ようやく眠りについた。

 


 


怜奈は電車の窓から流れる街の灯りを眺めながら、今日一日の余韻に浸っていた。

 


チャペルの模擬結婚式

レストランでの会話。

展望台の夜景。

そして、一真の隣にいる自分。

 


どれもが胸の奥にそっと灯りをともすような、優しい時間だった。

 


帰宅してコートを脱ぎ、ソファに腰を下ろすと、

ふっと息が漏れた。

 


「……幸せだったな、今日」

 


そして、ふと、電波塔での出来事が頭に浮かぶ。

 


悠真と彩香。

あの初々しい二人の姿。

 


まさかあのタイミングで会うとは思っていなかった。

けれど、怜奈は不思議と嫌な気持ちにはならなかった。

 


(いつかは会いたいと思っていたし……きっかけができてよかったのかも)

 


そう前向きに思えた。

 


そして、ふと未来を想像してしまう。

 


(もし、一真さんとこのまま続いて……結婚なんてことになったら……

私、悠真くんのお母さんになるのかな)

 


胸が少し熱くなる。

 


さらに思考はその先へ。

 


(悠真くんと彩香ちゃん……あの二人、きっと長く続く気がする)

 


もし本当に結婚したら──

自分は彩香の義理の母親にもなる。

 


大人になった二人と、

今日の出来事を笑いながら振り返る日が来るのだろうか。

 


「電波塔で偶然会ったよね〜」

「お父さん、めっちゃ焦ってたよね」

「怜奈さん、あのとき緊張してたでしょ?」

 


そんな会話を、

未来の家族が囲む食卓でしている自分を想像してしまう。

 


「……ふふっ」

 


思わず笑みがこぼれた。

 


もちろん全部、怜奈の勝手な想像だ。

でも、そんな未来を思い描けるほど、

今日の時間は温かくて、幸せだった。

 


(……一真さんとなら、そんな未来があってもいいな)

 


胸の奥に、静かで確かな灯りがともっていた。

 


 


翌朝。

 


キッチンに立つ一真の耳に、

階段を降りてくる足音が聞こえた。

 


「……おはよう」

 


眠たそうな顔の悠真が、

ゆっくりと椅子に座る。

 


「おはよう。昨日は……驚いたな」

 


一真の言葉に、

悠真は少しだけ視線をそらした。

 


「……うん」

 


二人の間に、

静かな朝の空気が流れた……

通勤電車にて… 第二十八話

「二組のカップル」

 


電波塔の出口へ続く通路は、

バレンタイン仕様のハート型イルミネーションが淡く揺れていた。

光の粒が床に反射し、まるで星の道のように続いている。

 


その道の先で、一真と怜奈、悠真と彩香の四人は突然向かい合う形になった。

 


「悠真!」

 


一真の声が、驚きと戸惑いを含んでいる。

 


「お父さん!」

 


悠真も思わず声を上げた。

彩香は驚きで固まり、怜奈は一真の腕をそっとつかむ。

 


一瞬、誰も言葉を発せず、

イルミネーションの光だけが四人の表情を照らした。

 


その沈黙は、ほんの数秒だったはずなのに、互いの胸には長く感じられた。

 


 


一真が少し前に出て、柔らかく微笑んだ。

 


「悠真の父です。彩香ちゃんだよね。

いつも悠真と仲良くしてくれてありがとう!」

 


彩香は緊張しながらも、丁寧に頭を下げた。

 


「初めまして。彩香です」

 


「悠真、こちらは怜奈さん」

 


怜奈も微笑んで会釈する。

 


「初めまして。悠真くん」

 


悠真は一瞬戸惑い、

「……初めまして」と小さく返した。

 


その瞬間、朝、自分が言った冗談がよみがえる。

 


「お父さんもデートだったりして! なんてね!」

 


あれは軽いノリのつもりだった。

なのに、今目の前にいるのは──

 


本当に“デート中”のお父さんだった。

 


胸の奥がざわつき、言葉がうまく出てこない。

 


彩香はその変化に気づき、そっと悠真の袖をつまんだ。

 


 


一真は静かに息を整えてから言った。

 


「悠真、今日はお互いデート中だから、また改めて話をしよう」

 


悠真は少し間を置いてから、

 


「……うん、わかった」

 


と小さく返した。

 


怜奈も安心したように微笑む。

 


 


「それじゃあ、また、後で」

一真が軽く手を挙げる。

 


「気をつけて帰ってね」

怜奈が優しく声をかける。

 


彩香は深く頭を下げた。

 


四人はそこで別れ、

二組のカップルはそれぞれ違う方向へ歩き出した。

 


イルミネーションの光が、四人の影を長く伸ばしていく。

 


 


エレベーターに乗り込み、ゆっくりと展望台へ向かう途中、怜奈がふと笑った。

 


「高校生カップル、初々しくていいわね。青春って感じよね」

 


「ほんとだね。まさか息子に会うとはびっくりしたよ!」

一真が苦笑する。

 


「私も驚いたわよ。でも……なんだか微笑ましかった」

怜奈は優しく言った。

 


展望台に着くと、ガラス越しに広がる夜景が一面に輝いていた。

街の光が宝石のように瞬き、

遠くの車のライトがゆっくりと流れていく。

 


怜奈はその景色に見入ったまま、ぽつりとつぶやいた。

 


「彩香ちゃん、かわいらしかったね。悠真くんとお似合いだった。

私たちのことは二人にはどう見えたかな」

 


「さあ、どうだろう。大人の恋愛なんて想像つかないだろうね」

一真は照れくさそうに笑う。

 


怜奈は窓に近づき、夜景を見ながら目を細めた。

 


「ねえ、夜景すごくきれいね……来て良かった」

 


「そう言ってもらえて、ぼくもよかったよ」

 


二人の間に、

静かで温かい空気が流れた。

 


 


一方その頃。

 


電波塔を離れたあと、

悠真と彩香は手をつないで歩いていた。

 


「……大丈夫?」

彩香が優しく尋ねる。

 


「うん……ただ、ちょっとびっくりしただけ」

 


少し歩いたあと、

悠真はぽつりとつぶやいた。

 


「……朝、ぼく、冗談で言ったんだ。

“お父さんもデートだったりして”って」

 


「え、そうだったの?」

彩香は目を丸くする。

 


「うん。でも……本当にデートだったんだなって思ったら……なんか、変な感じがして」

 


悠真の言葉を聞きながら、彩香はふと、自分の母親のことを思い浮かべた。

 


もし、お母さんに恋人ができたら……

私はどう思うんだろう。

 


嬉しいのか、寂しいのか、戸惑うのか。

想像してみても、答えはすぐには出なかった。

 


(……悠真くんも、きっと今そんな気持ちなんだ)

 


そう思うと、悠真の気持ちが少しわかったような気がした。

 


彩香はそっと悠真の手を握り直す。

 


「親子でデートって珍しいね。」

 


悠真は照れくさそうに笑い、

「……そうかも」と返した。

 


二人の影が、街灯に照らされて寄り添うように伸びていく。

 


 


二組のカップルの遭遇が

それぞれの“次の一歩”を静かに動かし始めていた。

通勤電車にて… 第二十七話

バレンタインデート

 


バレンタインデーの土曜日の朝。

悠真は洗面台の前で、いつもより長く鏡と向き合っていた。

ワックスを少しつけて前髪の角度を整え、ようやく納得のいく形になったところでリビングへ向かった。

 


「お父さん、今日の晩ごはんはいらないから」

 


テレビを消した一真が、ゆっくりと悠真の方を向く。

 


「そうか。……彩香ちゃんとデートか?」

 


「うん。そうだよ」

 


悠真は照れたようにニコッと笑った。

その表情には、隠しきれない嬉しさがにじんでいる。

 


「お父さんは?」

 


「お父さんも出掛けるよ」

 


すると悠真は、少し茶目っ気を含んだ笑顔で言った。

 


「お父さんもデートだったりして。なんてね! じゃあ、行ってくるね!」

 


「何を言ってるんだ。気をつけてな。」

 


一真はヒヤリとした。

悠真に怜奈の存在はまだ伝えてないのに、知っているのかと思ったからだ。

 


二人は軽く手を挙げて別れた。

親子がそれぞれバレンタインデーにデートするのは、どこか不思議な気分だった。

 


 


午前10時。

待ち合わせ場所に現れた彩香は、

いつもより少しだけ大人っぽい服装をしていた。

 


「お待たせ、悠真」

 


「ううん、ぼくも今来たところ。

彩香、その服よく似合ってる。」

 


「え、うれしい!」

 


二人は照れくさそうに笑い合い、

テーマパークのゲートをくぐった。

 


園内はバレンタイン仕様の飾りつけで、ピンクのハートやリボンがあちこちに散りばめられている。

 


 


最初に乗ったのは、園内をゆっくり走る小さなSL機関車が引っ張る列車だった。

 


「これ、かわいいね」

彩香が目を輝かせる。

 


「だよね。最初はこれくらいがちょうどいいかも」

 


二人は横並びの席に座り、

機関車は軽い汽笛を鳴らしてゆっくりと走り出した。

 


「わぁ……見て、あっちのエリアすごく綺麗」

彩香が窓の外を指さす。

 


「ほんとだ。夜になったらもっと映えそうだね」

 


「ねえ、写真撮ろうよ」

彩香がスマホを取り出す。

 


「うん、あ、ちょっと近いかも」

 


「え、だめ?」

 


「いや、全然だめじゃない」

 


二人は肩が触れそうな距離で並び、

SL機関車の揺れに合わせて自然と身体が寄った。

 


シャッター音が響く。

 


「いい感じに撮れた?」

悠真が覗き込む。

 


「うん……すごくいい感じ」

彩香はうれしそうに画面を見せた。

 


ゆっくりとした時間が、

二人の距離を自然に縮めていった。

 


 


次に向かったのは、園内で一番人気の絶叫ジェットコースター。

 


「これ……大丈夫?」

彩香は少し不安そうに眉を寄せた。

 


「大丈夫、大丈夫。ぼくがいるから」

 


「その言い方が逆に不安なんだけど!」

 


そんなやり取りをしながら乗り込むと、

発車直前、彩香がそっと悠真の袖をつまんだ。

 


「……ちょっとだけ、手、つないでてもいい?」

 


「もちろん」

 


二人はぎゅっと手を握り合い、

ジェットコースターは空へと駆け上がっていった。

 


風を切る音、急降下のスリル、

そして二人の笑い声が混ざり合う。

 


降りたあと、彩香は息を弾ませながら笑った。

 


「怖かったけど……楽しかった!」

 


「だろ? 次は観覧車行く?」

 


「うん!」

 


 


観覧車のゴンドラがゆっくりと上昇していく。

 


「さっきのジェットコースターより、こっちの方が緊張するかも」

 


「なんで?」

 


「だって……二人きりだから」

 


彩香の頬がほんのり赤くなる。

 


悠真は窓の外を見ながら、

「ぼくは……こういう時間、好きだよ」とつぶやいた。

 


その言葉に、彩香の胸の奥がじんわりと温かくなる。

そして、そっと悠真の肩にもたれかかった。

 


二人の鼓動が互いに伝わるほど近い。

 


悠真はゆっくりと彩香の頬にキスをした。

 


「彩香、好きだよ」

 


彩香は少し驚いたように目を見開き、

すぐに柔らかく微笑みながら悠真の手を握った。

 


「私も悠真のこと、大好き」

 


ゴンドラの中に、静かで甘い時間が流れた。

 


 


お土産ショップでは、

二人は同じキャラクターのキーホルダーを手に取った。

 


「これ……お揃いにしない?」

悠真が言うと、

 


「それいいね! 嬉しい!」

彩香は目を輝かせた。

 


二人はそれぞれのバッグにつけ、

「今日の記念だね」と笑い合った。

 


 


テーマパークを出た二人は、

街で人気のカフェレストランへ向かった。

 


店内はバレンタインデーらしく賑わい、

カップルたちの笑い声が心地よく響いている。

 


二人が頼んだのは、

バレンタイン限定のワンプレートディナー。

 


• 彩香:サーモンのカルパッチョ、ローストチキンとラタトゥイユ

• 悠真:白身魚フリット(レモンタルタル添え)、ビーフシチューとガーリックトースト

 

 

 

「わぁ……カルパッチョ、きれい」

彩香は目を輝かせながらフォークを手に取った。

 


「そっちも美味しそうだね。ぼくのフリットも食べてみる?」

悠真が皿を少し差し出す。

 


「いいの? じゃあ……一口だけ」

 


彩香はフリットを口に運び、

衣のサクッとした音を立てて微笑んだ。

 


「これ……めっちゃ美味しい! レモンのソースが合うね」

 


「よかった。彩香のカルパッチョも食べていい?」

 


「もちろん!」

 


二人は前菜からメインまで、

自然にシェアしながら食べ進めた。

 


「このチキン、めっちゃ柔らかいよ。食べてみて」

 


「ほんとだ……うまっ」

 


「でしょ?」

 


彩香は嬉しそうに笑った。

 


「悠真は? そっちのビーフシチューどう?」

 


「最高。彩香にも食べてほしい」

 


「じゃあ……一口だけ」

 


スプーンを口に運んだ彩香は、

目を丸くした。

 


「美味しい……! これ、家でも作れたらいいのに」

 


「作ってみたら? ぼく、味見役やるよ」

 


「ほんと? じゃあ今度やってみようかな」

 


未来の話が自然に出てくるほど、

二人の距離は近かった。

 


 


一真は怜奈を最近開業した外資系ホテルでのディナーに誘っていた。

 


駅で合流した一真と怜奈は、ホテルに到着した後、ディナーの予約時間まで少し余裕があったので、ロビー横のラウンジでお茶をすることにした。

 


窓際の席に案内され、

落ち着いた照明とピアノの生演奏が流れる中、二人は温かい紅茶を前に向かい合った。

 


「なんだか……緊張するね、こういうの」

怜奈がカップを両手で包みながら笑う。

 


「ぼくもだよ。でも……たまにはいいかな、こういう雰囲気。」

一真も少し照れたように返す。

 


紅茶の香りと、静かな空気。

二人の会話はゆっくりとしたテンポで続き、自然と笑顔が増えていった。

 


「今日は、息子の悠真も彼女とデートしてるんだよ。親子それぞれバレンタインデーにデートって珍しいだろ。」

 


「え、そうなの!悠真くん、やるわね!」

 


ラウンジを出たあと、

「せっかくだから、少しホテルの中、見てみる?」

怜奈の提案で、二人は館内を歩くことにした。

 


ロビーにはバレンタイン仕様の装飾が施され、赤いバラやキャンドルが並んでいる。

怜奈は「きれい……」と足を止め、

一真はその横顔をそっと見つめた。

 


そんな時だった。

 


「よろしければ、ぜひご覧になっていかれませんか?」

声をかけてきたのは、ホテルの女性従業員だった。

 


「今、チャペルでバレンタインデーの特別イベントを行っておりまして、

模擬結婚式の演出をご覧いただけるんです。

どなたでも自由に参加できますので……」

 


怜奈は驚いたように目を丸くした。

 


「模擬結婚式……?」

 


「はい。よろしければ、どうぞ。素敵なカップルだなと思ってお声を掛けさせていただきました。」

従業員は柔らかく微笑む。

 


一真と怜奈は顔を見合わせた。

 


「せっかくだし……見てみる?」

一真が少し照れながら言う。

 


「うん。」

怜奈は静かに頷いた。

 


従業員に案内され、

二人はチャペルへと向かっていった。

扉の向こうからは、どこか神聖な空気が漂っていた。

 


従業員に案内され、二人はチャペルの前に立った。

扉の向こうからは、柔らかな光とパイプオルガンの音色が漏れている。

 


「なんだか……本格的だね」

怜奈が小さくつぶやく。

 


「うん。模擬って言われなかったら、本物だと思うかも」

一真も少し驚いたように答えた。

 


扉が静かに開き、二人は中へと足を踏み入れた。

 


チャペルの中は、バージンロードの両脇にキャンドルが並び、

天井には淡いピンクのライトが反射していた。

祭壇の後ろには、花びらを散らした透明なカーテンが揺れている。

 


「きれい……」

怜奈は思わず息をのんだ。

 


「すごい演出だな……」

一真も目を奪われていた。

 


席に案内されると、

ちょうど模擬結婚式の“誓いの言葉”のシーンが始まった。やはり観客は若いカップルが多く、少し気恥ずかしい。

 


新郎役と新婦役のモデルが、

ゆっくりと向かい合い、

司会者が朗読する誓いの言葉に合わせて手を取り合う。

 


「こういうの……なんか、胸にくるね」

怜奈が小さな声で言う。

 


「うん。思ってたより……いいものだな」

一真も同じように小声で返した。

 


やがて、花びらのシャワーが舞い、

小さな合唱隊が讃美歌を歌い始めた。

チャペル全体が温かい光に包まれ、

観客たちも静かに拍手を送る。

 


怜奈はその光景を見つめながら、

ほんの少しだけ目を潤ませていた。

 


「怜奈さん……?」

一真がそっと声をかける。

 


「幸せそうだなって思って。」

怜奈は照れたように笑った。

 


イベントが終わり、

チャペルの扉が開いて観客がゆっくりと外へ出ていく。

 


二人も歩きながら、

まだ胸の奥に残る温かさを感じていた。

 


「なんか……思ってたより、感動した。」

怜奈がほほえみながら言う。

 


「うん。こういうのを見るとこっちまで幸せな気持ちになるね。」

一真は少し照れながら答えた。

 


「さっきの花びらの演出、すごかったね」

 


「うん。すごかった。」

 


二人は自然と笑い合った。

さっきまでより、ほんの少しだけ距離が近くなっている。

 


チャペルを出ると、ホテルの廊下にはディナー会場へ続く案内板が立っていた。

 


「そろそろ時間だね」

怜奈が時計を見ながら言う。

 


「うん。行こうか」

一真は軽く頷いた。

 


二人は並んで歩き出した。

チャペルで見た光景の余韻が、

静かに心の中に残ったまま。

 


二人はレストランの受付へと向かっていった。

 


一真は個室を予約しており、係の男性に案内された。

 


席に着くと、テーブルのキャンドルが二人の表情を柔らかく照らす。

 


今夜はバレンタインデー限定コース料理となっている。

 


ハート型に盛り付けられた前菜のサーモンマリネを食べながら、怜奈が言った。

 


「ハートだね。こういうの、ちょっと照れるね」

 


「ぼくもだよ。」

 


二人は笑い合った。

 

「今日は悠真も彼女とデートに行ってるんだよ。実は、悠真が出掛ける前に、お父さんもデートだったりして と言われてドキッとしたんだ。悠真は知ってるはずないのに。

タイミングを見て、怜奈さんのことは悠真に話そうと思ってる。」

 

「それはびっくりするわね。私も一度悠真くんにお会いしたいわ。」

 

「いつがいいかなあ。また、考えておくよ。」

 

「うん。お願い。」

 


スープ、魚料理、肉料理と続き、

どれも丁寧に作られた味わい深いものだった。

 


食事がひと段落した頃、

怜奈がバッグの中をそっと探り始めた。

 


「実はね……渡したいものがあるの」

 


「うん。」

 


怜奈は小さな紙袋を取り出し、

両手で大事そうに差し出した。

 


「これ……バレンタインのチョコレート。

手作りじゃないけど、選ぶのにすごく悩んだんだ」

 


一真は少し期待していたが、実際に渡されるとうれしさが込み上げてきた。

久しぶりのこの感覚。懐かしさも少しある。

 


「ありがとう!すごくうれしいよ!」

 


「よかった!こういうこと長い間してなくてドキドキしてたの。」

怜奈はほっとしたように微笑んだ。

 


 


食事を終えたあと、

悠真と彩香は電波塔へ向かった。

 


冬の夜空にそびえる塔は、

バレンタイン仕様のハート型のイルミネーションで輝いている。

数段の階段を登るとエレベーター乗り場がある。二人はエレベーターに乗り込み展望台まで登った。

 


展望台から見下ろす街の光は、

まるで宝石のようだった。

 


「きれい……」

 


「うん。来てよかったね」

 


二人はしばらく夜景を眺めた後、再びエレベーターに乗り、地上へ降りた。エレベーターを降りた後、手をつないで階段を降りていった。 

 


 


一方、ホテルでの食事を終えた一真と怜奈はお互いもう少し一緒に居たい感情を抱いている。

 


「ネットで調べたんだけど、電波塔のイルミネーションがきれいらしいから、行ってみよう。」

一真が怜奈を誘った。

 


「うん。私も行ってみたかったの。」

 


一真と怜奈も悠真と彩香と同じ電波塔へ向かっていた。

 


 


悠真と彩香が電波塔の出口に通じる通路を歩いていたときだった。

 


「……あれ?」

 


悠真が小さく声を上げた。

 


その先には、こちらに向かっている一真の姿があった。知らない女性と一緒に歩いてくる。

 


一真も、電波塔の方から歩いてくる悠真に気づいた。隣にいるのは彩香だと思った。

 


「……悠真?」

 


悠真は思わず声を上げた。

 


「え、お父さん⁈」

 


怜奈も驚いて一真の腕をつかむ。

 


彩香は緊張で固まり、悠真は顔を真っ赤にして立ち尽くした。

 


バレンタインデーの夜、イルミネーションの光の中で、四人の視線が交差する。

通勤電車にて… 第二十六話

「バレンタインデー」

 


バレンタインデーが土曜日に重なったその朝、家の中には、いつもより少しだけ甘い空気が漂っていた。

 


洗面所の前では、彩香が丁寧に髪を巻き、鏡に映る自分の姿を何度も確認している。

 


「うん、いい感じ。」

 


小さくつぶやく声が、優香の耳に届いた。

 


母として、娘のこういう姿を見るのは久しぶりだった。

 


中学生の頃は友達とチョコを交換してはしゃいでいたが、

高校に入ってからは「別に関係ないよ」と言っていた彩香が、

今朝は明らかに“誰かのため”に準備している。

 


優香は、朝食のコーンスープをかき混ぜながら微笑んだ。

 


(ああ……恋をしているんだな)

 


それだけで胸が温かくなる。

 


 


朝食を終えたあと、彩香が少し照れたように言った。

 


「お母さん、今日の夕食はいらないから」

 


優香は驚かなかった。

むしろ、ようやくこの日が来たかという気持ちだった。

 


「わかった。楽しんでおいで」

 


そう言うと、彩香は嬉しそうに頷き、

お気に入りのショルダーバッグを肩にかけて出かけていった。

 


玄関の扉が閉まる音が、

いつもより軽やかに響いた。

 


 


夕方になり、優香はキッチンで冷蔵庫を開けた。

 


(私ひとり分の夕食を作るのもなぁ……)

 


野菜室の中の食材を見ても、

どうにも作る気が起きない。

 


「今日は……お弁当でいいか」

 


そうつぶやき、コートを羽織って外に出た。

 


冬の夕暮れは早く、

空はすでに薄紫色に染まり始めていた。

冷たい風が頬を撫でるが、どこか心地よい。

 


スーパーで弁当を買い、

帰り道を歩いていると──

この辺りで人気のカフェレストランの前に差しかかった。

 


店の前には、

バレンタイン限定のチョコレートケーキの看板が出ている。

窓からは、暖かな照明と楽しげな笑い声が漏れていた。カップルが多いように見える。

 


そのときだった。

 


店の入り口に向かう二人の姿が目に入った。

 


(あれ……彩香?)

 


優香は思わず足を止めた。

 


彩香が、男の子と並んで歩いている。

二人の距離は近く、肩が触れそうなほど自然に寄り添っていた。

 


男の子がドアを開け、

彩香が「ありがとう」と微笑む。

 


その表情は、

母親である優香が見ても“恋をしている顔”だった。

 


二人は店に入り、窓際の席に座った。

 


外からでも、二人の様子が見える。

 


彩香は緊張と嬉しさが混ざったような表情で、向かいの男の子を見つめていた。

 


そして──

その男の子の顔を見た瞬間、

優香は息を呑んだ。

 


(……悠真くん?)

 


姉の澄香の息子。

一真の息子。

彩香にとっては“いとこ”にあたる少年。

 


二人は向かい合って話し、

ときどき目を合わせて笑い合っている。

 


その光景は、

どう見ても“恋人同士”だった。

 


優香は胸に手を当て、

しばらくその場に立ち尽くした。

 


驚きはあった。

けれど、不思議と不安はなかった。

 


むしろ、

胸の奥がじんわりと温かくなっていく。

 


(澄香……あなたの息子さん、

ちゃんと彩香を大切にしてくれているみたいだよ)

 


亡き姉の面影が、

悠真の横顔にふと重なった。

 


そして、

彩香の笑顔には、

澄香が若い頃に見せていた表情がよく似ていた。

 


(いとこ同士でも……問題はない。

それに、悠真くんなら安心できる)

 


優香は静かに微笑んだ。

 


二人の姿をもう一度だけ見つめ、

そっとその場を離れた。

 


帰り道、

手に持った弁当の温かさが、

心の温度と同じように感じられた。

 


(彩香……いい恋をしているんだね)

 


その夜、

優香は一真にメッセージを送るべきか迷った。

 


けれど、

今はまだいい。

まずは彩香の気持ちを尊重したい。

 


そう思いながら、

温めた弁当をひとりで食べた。

 


静かで、

どこか満たされたバレンタインデーの夜だった。

通勤電車にて… 第二十五話

「悠真の告白」

 


ある日の夕食後、悠真が話し出した。

 


「あの、お父さん、この前お母さんの双子の妹の優香さんとファミレスに行ったよね。」

 


「うん、行ったな。」

 


「その時に、優香さんの娘さんの名前は花村彩香で、ぼくと同じ高校に通っていると言ってたよね。」

 


「言ってたな。」

 


「その時は花村彩香さんのことを知らないと言ったけど、実は、ぼく、花村彩香さんのこと知ってるんだ。」

 


「そうだったのか。どうして知ってるって言わなかった?」

 


悠真は少し視線を落とし、言葉を選ぶようにゆっくり口を開いた。

 


「……なんか、雰囲気的に言いづらかったんだ。

父さん、優香さんの話をするとき、ちょっと緊張してたし……

お母さんと優香さんのこともあるから、あんまり踏み込んじゃいけないのかなって思って。」

 


一真は驚いたように目を瞬かせた。

 


「そんなふうに気を遣わせてたのか……ごめんな。

でも、彩香さんのことを知ってるって、どういう意味なんだ?」

 


悠真は深く息を吸い、覚悟を決めたように顔を上げた。

 


「いつかお父さんがぼくに、最近日曜日によく出掛けるよなって言ってたことあっただろ。」

 


「そうだね。おしゃれに気を使うようになってきたし、お小遣いも欲しがってたよな。」

 


「……実はその頃から花村彩香さんと……付き合ってるんだ。」

 


一真の表情が固まる。

 


「……え?」

 


「彼女のパスケースを拾ってあげたことがあって、それが初めての出会いで、さらに図書委員で同じ担当になって、仲良くなったんだ。」

 


一真はしばらく言葉を失った。

 


「……悠真と彩香さんはお互い好き同士なんだよな?」

 


悠真は迷いなく頷いた。

 


「そりゃそうだよ。ぼくから告白して彼女もOKしてくれたよ。ぼくと彩香はいとこ同士だから、父さんにも、いつか言わなきゃと思ってたよ。」

 


その言葉が、一真の胸に響く。

 


(花村彩香……

優香さんの娘……

澄香の姪……

悠真にとっては確かに“いとこ”だ……)

 


一真はいとこ同士が付き合うことのリスクを考えていた。

 


「お父さん、どうしたの?」

 


「いや……ちょっと驚いただけだ。

まさか……そんな近くに“花村彩香さん”がいるとは思わなくてな。」

 


「ぼくも驚いたよ。優香さんが彩香のお母さんだったなんて。」

 


「彩香さんが悠真のいとこということはわかってたけど、まさか二人が付き合ってるとは思わなかったよ。」

 


「ぼく、調べたんだ。いとこ同士でも結婚できることを。もちろん、今すぐ結婚なんて考えてないよ。いとこ同士でも結婚できるんだから、付き合うことは全然OKだよね。」

 


「そこまでわかっているのか。ちょっと不謹慎かもしれないけど、もし、2人が別れても親戚関係は続いていくよな。そこのところも考えていこうな。」

 


「わかってるよ。もし、別れたとしても、親戚として、そこはドライに付き合っていくよ。でも、今はお互い好き同士だから、この関係を大事にしていくつもりだよ。」

 


「そうか。今は彩香さんを大切にして、青春を楽しみなさい!応援しているよ!」

 


「意外にしっかりしている。最近の若者っぽいな。」と一真は思った。

また、親&親戚として、一度優香さんと少し話しておいた方がいいとも感じていた。