バレンタインデート
バレンタインデーの土曜日の朝。
悠真は洗面台の前で、いつもより長く鏡と向き合っていた。
ワックスを少しつけて前髪の角度を整え、ようやく納得のいく形になったところでリビングへ向かった。
「お父さん、今日の晩ごはんはいらないから」
テレビを消した一真が、ゆっくりと悠真の方を向く。
「そうか。……彩香ちゃんとデートか?」
「うん。そうだよ」
悠真は照れたようにニコッと笑った。
その表情には、隠しきれない嬉しさがにじんでいる。
「お父さんは?」
「お父さんも出掛けるよ」
すると悠真は、少し茶目っ気を含んだ笑顔で言った。
「お父さんもデートだったりして。なんてね! じゃあ、行ってくるね!」
「何を言ってるんだ。気をつけてな。」
一真はヒヤリとした。
悠真に怜奈の存在はまだ伝えてないのに、知っているのかと思ったからだ。
二人は軽く手を挙げて別れた。
親子がそれぞれバレンタインデーにデートするのは、どこか不思議な気分だった。
*
午前10時。
待ち合わせ場所に現れた彩香は、
いつもより少しだけ大人っぽい服装をしていた。
「お待たせ、悠真」
「ううん、ぼくも今来たところ。
彩香、その服よく似合ってる。」
「え、うれしい!」
二人は照れくさそうに笑い合い、
テーマパークのゲートをくぐった。
園内はバレンタイン仕様の飾りつけで、ピンクのハートやリボンがあちこちに散りばめられている。
*
最初に乗ったのは、園内をゆっくり走る小さなSL機関車が引っ張る列車だった。
「これ、かわいいね」
彩香が目を輝かせる。
「だよね。最初はこれくらいがちょうどいいかも」
二人は横並びの席に座り、
機関車は軽い汽笛を鳴らしてゆっくりと走り出した。
「わぁ……見て、あっちのエリアすごく綺麗」
彩香が窓の外を指さす。
「ほんとだ。夜になったらもっと映えそうだね」
「ねえ、写真撮ろうよ」
彩香がスマホを取り出す。
「うん、あ、ちょっと近いかも」
「え、だめ?」
「いや、全然だめじゃない」
二人は肩が触れそうな距離で並び、
SL機関車の揺れに合わせて自然と身体が寄った。
シャッター音が響く。
「いい感じに撮れた?」
悠真が覗き込む。
「うん……すごくいい感じ」
彩香はうれしそうに画面を見せた。
ゆっくりとした時間が、
二人の距離を自然に縮めていった。
*
次に向かったのは、園内で一番人気の絶叫ジェットコースター。
「これ……大丈夫?」
彩香は少し不安そうに眉を寄せた。
「大丈夫、大丈夫。ぼくがいるから」
「その言い方が逆に不安なんだけど!」
そんなやり取りをしながら乗り込むと、
発車直前、彩香がそっと悠真の袖をつまんだ。
「……ちょっとだけ、手、つないでてもいい?」
「もちろん」
二人はぎゅっと手を握り合い、
ジェットコースターは空へと駆け上がっていった。
風を切る音、急降下のスリル、
そして二人の笑い声が混ざり合う。
降りたあと、彩香は息を弾ませながら笑った。
「怖かったけど……楽しかった!」
「だろ? 次は観覧車行く?」
「うん!」
*
観覧車のゴンドラがゆっくりと上昇していく。
「さっきのジェットコースターより、こっちの方が緊張するかも」
「なんで?」
「だって……二人きりだから」
彩香の頬がほんのり赤くなる。
悠真は窓の外を見ながら、
「ぼくは……こういう時間、好きだよ」とつぶやいた。
その言葉に、彩香の胸の奥がじんわりと温かくなる。
そして、そっと悠真の肩にもたれかかった。
二人の鼓動が互いに伝わるほど近い。
悠真はゆっくりと彩香の頬にキスをした。
「彩香、好きだよ」
彩香は少し驚いたように目を見開き、
すぐに柔らかく微笑みながら悠真の手を握った。
「私も悠真のこと、大好き」
ゴンドラの中に、静かで甘い時間が流れた。
*
お土産ショップでは、
二人は同じキャラクターのキーホルダーを手に取った。
「これ……お揃いにしない?」
悠真が言うと、
「それいいね! 嬉しい!」
彩香は目を輝かせた。
二人はそれぞれのバッグにつけ、
「今日の記念だね」と笑い合った。
*
テーマパークを出た二人は、
街で人気のカフェレストランへ向かった。
店内はバレンタインデーらしく賑わい、
カップルたちの笑い声が心地よく響いている。
二人が頼んだのは、
バレンタイン限定のワンプレートディナー。
• 彩香:サーモンのカルパッチョ、ローストチキンとラタトゥイユ
• 悠真:白身魚のフリット(レモンタルタル添え)、ビーフシチューとガーリックトースト
「わぁ……カルパッチョ、きれい」
彩香は目を輝かせながらフォークを手に取った。
「そっちも美味しそうだね。ぼくのフリットも食べてみる?」
悠真が皿を少し差し出す。
「いいの? じゃあ……一口だけ」
彩香はフリットを口に運び、
衣のサクッとした音を立てて微笑んだ。
「これ……めっちゃ美味しい! レモンのソースが合うね」
「よかった。彩香のカルパッチョも食べていい?」
「もちろん!」
二人は前菜からメインまで、
自然にシェアしながら食べ進めた。
「このチキン、めっちゃ柔らかいよ。食べてみて」
「ほんとだ……うまっ」
「でしょ?」
彩香は嬉しそうに笑った。
「悠真は? そっちのビーフシチューどう?」
「最高。彩香にも食べてほしい」
「じゃあ……一口だけ」
スプーンを口に運んだ彩香は、
目を丸くした。
「美味しい……! これ、家でも作れたらいいのに」
「作ってみたら? ぼく、味見役やるよ」
「ほんと? じゃあ今度やってみようかな」
未来の話が自然に出てくるほど、
二人の距離は近かった。
*
一真は怜奈を最近開業した外資系ホテルでのディナーに誘っていた。
駅で合流した一真と怜奈は、ホテルに到着した後、ディナーの予約時間まで少し余裕があったので、ロビー横のラウンジでお茶をすることにした。
窓際の席に案内され、
落ち着いた照明とピアノの生演奏が流れる中、二人は温かい紅茶を前に向かい合った。
「なんだか……緊張するね、こういうの」
怜奈がカップを両手で包みながら笑う。
「ぼくもだよ。でも……たまにはいいかな、こういう雰囲気。」
一真も少し照れたように返す。
紅茶の香りと、静かな空気。
二人の会話はゆっくりとしたテンポで続き、自然と笑顔が増えていった。
「今日は、息子の悠真も彼女とデートしてるんだよ。親子それぞれバレンタインデーにデートって珍しいだろ。」
「え、そうなの!悠真くん、やるわね!」
ラウンジを出たあと、
「せっかくだから、少しホテルの中、見てみる?」
怜奈の提案で、二人は館内を歩くことにした。
ロビーにはバレンタイン仕様の装飾が施され、赤いバラやキャンドルが並んでいる。
怜奈は「きれい……」と足を止め、
一真はその横顔をそっと見つめた。
そんな時だった。
「よろしければ、ぜひご覧になっていかれませんか?」
声をかけてきたのは、ホテルの女性従業員だった。
「今、チャペルでバレンタインデーの特別イベントを行っておりまして、
模擬結婚式の演出をご覧いただけるんです。
どなたでも自由に参加できますので……」
怜奈は驚いたように目を丸くした。
「模擬結婚式……?」
「はい。よろしければ、どうぞ。素敵なカップルだなと思ってお声を掛けさせていただきました。」
従業員は柔らかく微笑む。
一真と怜奈は顔を見合わせた。
「せっかくだし……見てみる?」
一真が少し照れながら言う。
「うん。」
怜奈は静かに頷いた。
従業員に案内され、
二人はチャペルへと向かっていった。
扉の向こうからは、どこか神聖な空気が漂っていた。
従業員に案内され、二人はチャペルの前に立った。
扉の向こうからは、柔らかな光とパイプオルガンの音色が漏れている。
「なんだか……本格的だね」
怜奈が小さくつぶやく。
「うん。模擬って言われなかったら、本物だと思うかも」
一真も少し驚いたように答えた。
扉が静かに開き、二人は中へと足を踏み入れた。
チャペルの中は、バージンロードの両脇にキャンドルが並び、
天井には淡いピンクのライトが反射していた。
祭壇の後ろには、花びらを散らした透明なカーテンが揺れている。
「きれい……」
怜奈は思わず息をのんだ。
「すごい演出だな……」
一真も目を奪われていた。
席に案内されると、
ちょうど模擬結婚式の“誓いの言葉”のシーンが始まった。やはり観客は若いカップルが多く、少し気恥ずかしい。
新郎役と新婦役のモデルが、
ゆっくりと向かい合い、
司会者が朗読する誓いの言葉に合わせて手を取り合う。
「こういうの……なんか、胸にくるね」
怜奈が小さな声で言う。
「うん。思ってたより……いいものだな」
一真も同じように小声で返した。
やがて、花びらのシャワーが舞い、
小さな合唱隊が讃美歌を歌い始めた。
チャペル全体が温かい光に包まれ、
観客たちも静かに拍手を送る。
怜奈はその光景を見つめながら、
ほんの少しだけ目を潤ませていた。
「怜奈さん……?」
一真がそっと声をかける。
「幸せそうだなって思って。」
怜奈は照れたように笑った。
イベントが終わり、
チャペルの扉が開いて観客がゆっくりと外へ出ていく。
二人も歩きながら、
まだ胸の奥に残る温かさを感じていた。
「なんか……思ってたより、感動した。」
怜奈がほほえみながら言う。
「うん。こういうのを見るとこっちまで幸せな気持ちになるね。」
一真は少し照れながら答えた。
「さっきの花びらの演出、すごかったね」
「うん。すごかった。」
二人は自然と笑い合った。
さっきまでより、ほんの少しだけ距離が近くなっている。
チャペルを出ると、ホテルの廊下にはディナー会場へ続く案内板が立っていた。
「そろそろ時間だね」
怜奈が時計を見ながら言う。
「うん。行こうか」
一真は軽く頷いた。
二人は並んで歩き出した。
チャペルで見た光景の余韻が、
静かに心の中に残ったまま。
二人はレストランの受付へと向かっていった。
一真は個室を予約しており、係の男性に案内された。
席に着くと、テーブルのキャンドルが二人の表情を柔らかく照らす。
今夜はバレンタインデー限定コース料理となっている。
ハート型に盛り付けられた前菜のサーモンマリネを食べながら、怜奈が言った。
「ハートだね。こういうの、ちょっと照れるね」
「ぼくもだよ。」
二人は笑い合った。
「今日は悠真も彼女とデートに行ってるんだよ。実は、悠真が出掛ける前に、お父さんもデートだったりして と言われてドキッとしたんだ。悠真は知ってるはずないのに。
タイミングを見て、怜奈さんのことは悠真に話そうと思ってる。」
「それはびっくりするわね。私も一度悠真くんにお会いしたいわ。」
「いつがいいかなあ。また、考えておくよ。」
「うん。お願い。」
スープ、魚料理、肉料理と続き、
どれも丁寧に作られた味わい深いものだった。
食事がひと段落した頃、
怜奈がバッグの中をそっと探り始めた。
「実はね……渡したいものがあるの」
「うん。」
怜奈は小さな紙袋を取り出し、
両手で大事そうに差し出した。
「これ……バレンタインのチョコレート。
手作りじゃないけど、選ぶのにすごく悩んだんだ」
一真は少し期待していたが、実際に渡されるとうれしさが込み上げてきた。
久しぶりのこの感覚。懐かしさも少しある。
「ありがとう!すごくうれしいよ!」
「よかった!こういうこと長い間してなくてドキドキしてたの。」
怜奈はほっとしたように微笑んだ。
*
食事を終えたあと、
悠真と彩香は電波塔へ向かった。
冬の夜空にそびえる塔は、
バレンタイン仕様のハート型のイルミネーションで輝いている。
数段の階段を登るとエレベーター乗り場がある。二人はエレベーターに乗り込み展望台まで登った。
展望台から見下ろす街の光は、
まるで宝石のようだった。
「きれい……」
「うん。来てよかったね」
二人はしばらく夜景を眺めた後、再びエレベーターに乗り、地上へ降りた。エレベーターを降りた後、手をつないで階段を降りていった。
*
一方、ホテルでの食事を終えた一真と怜奈はお互いもう少し一緒に居たい感情を抱いている。
「ネットで調べたんだけど、電波塔のイルミネーションがきれいらしいから、行ってみよう。」
一真が怜奈を誘った。
「うん。私も行ってみたかったの。」
一真と怜奈も悠真と彩香と同じ電波塔へ向かっていた。
*
悠真と彩香が電波塔の出口に通じる通路を歩いていたときだった。
「……あれ?」
悠真が小さく声を上げた。
その先には、こちらに向かっている一真の姿があった。知らない女性と一緒に歩いてくる。
一真も、電波塔の方から歩いてくる悠真に気づいた。隣にいるのは彩香だと思った。
「……悠真?」
悠真は思わず声を上げた。
「え、お父さん⁈」
怜奈も驚いて一真の腕をつかむ。
彩香は緊張で固まり、悠真は顔を真っ赤にして立ち尽くした。
バレンタインデーの夜、イルミネーションの光の中で、四人の視線が交差する。